こんにちは、メイコです。
思い立ったら一直線!の性格でどこまでも突き進み
いろんな遠回りをして生きております~。
猫とパフュームが大好きなのですが
今までの人生は「好きなものが出来る余裕」すらない日々でした。
そんなメイコがどうやって人生を乗り越えて
今ハッピーなのんびり幸せ生活を掴んでいるのかを
少し振り返っていこうと思います~。
憧れのデザイン事務所で働き始めたメイコ
絵を書くのが好きだったメイコですが
「絵では飯は食えない。デザインを学びなさい」と
高校の恩師に言われるがまま
デザイン系の短大へ入りそのままデザイン会社へ就職しました。
一般的な会社とは、業務もかなり違っていると思いますが
わたしの会社は『パッケージデザイン』が主だったので
スーパーに並んでいる食料品のパッケージデザインを
毎日デザインして納品していました。
全てをパソコン上でやるわけではなくて
時には墨と筆を持ち出して『野菜』という字を書いて
スキャナしてデザインすることもあります。
たくさんの写真資料の中から合うものを探し出して、
上司と相談しながらデザインを組み立てていきます。
この華やかな世界に憧れていたわたしは
粘りに粘ってようやくこの会社を見つけました。
本命だった九州ウォーカーという雑誌を扱う会社は
二次面接の際にメインにアピールするはずだった映像作品でミスをし
面接の時に映像が映らず(実際にはカクカク映像)
ツメの甘さが祟って不合格になったのでした。
でも、面白そうな会社をようやく見つけて
新社会人バリバリ頑張ります!!と気合十分でした。
しかし、研修期間が終わると
周りの態度がずいぶん変わりました。
仕事は夜中の0時を平気で回るようになり
毎朝出勤するのが遅刻ギリギリになり始めてしまいました。
社長より権限のある女上司の存在が日ごとに増し
わたしは社長に八つ当たりされるようになりました。
話しかければ「待て」と言われるし
待っていれば「仕事をしろ」と睨みつけられる。
デザインをすればワンパターンだと言われ
変化を付ければ「勝手に変えるな」と怒り出す。
(じゃあどうしろって言うの?!)
毎日、イライラしてました。
あんたの人望がないのはわたしのせいじゃない。
自分に力がないのを新人のせいにするなんて
本気で最低の人間だな・・・といつも心のなかで思ってました。
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この時のトラウマで
わたしは男性のひとつ結びの髪型がものすっごく苦手です。
でも、この後あと2人も現れるんです・・・
しかもどちらも先生になる人なので本人には絶対言えません。笑
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給料明細はチラシの裏に手書きされたもので
どんどん扱いはひどくなっていきました。
2つの派閥と、孤立した社長。
小さなデザイン会社なのに異常な空間の中
激務の中で毎日必死になって働いていました。
ある日、ガスの工事のために
部屋にいてほしいと大家さんから連絡があり
上司にその事を事前に話していましたが
「いつになったら来るの?」という電話が
ずっと鳴りっぱなしの時もありました。
ようやく会社に着くと
「絶対サボってたよね」と陰口を叩かれましたが
証拠写真を見せて渋々納得させました。
また別の日には
うっかり「今夜は〇〇でデートだ」と
先輩に話した事を上司にも聞かれていて
デート現場にゾロゾロと職場の人間が現れたこともありました。
本気で気味の悪い集団です・・・
職場の人間がそもそも変な人ばかりで
コピー機の間で青い空を眺めながらいつもため息を付いていました。
短大の頃は楽しかったなあ・・・
こんな日は、みんなで海に行って大騒ぎしたいなぁ~
みんな、仕事頑張ってるんだろうなぁ
こんな会社でも、自分で選んで入ったんだし
もっと頑張って自分ひとりでデザインを納品できるくらい
勉強しなくちゃな・・・
どんなに嫌な人がいても
始めて社会人として生活して行くことに必死で
とにかく頑張らなくちゃとばかり思っていました。
でも、ある日
わたしは社長からファミレスに呼び出されて
「お前、もういらないってみんな言ってる。」
という一言でクビを宣告されてしまいました。
その時、いろんなひどい事を言われて
悔しくて悔しくて
言い返そうと口を開いた途端
両目からボロボロと涙がこぼれていました。
喉は押し潰れて声が出せず
言い返せない悔しさでいっぱいで
必死に抑えようとすればするほど
喉が締め付けられて苦しくて
心のなかで何度も何度も
お母さんに申し訳ないという気持ちばかりが
リフレインしていました。
そのまま会社に戻らず
誰にも合わないまま家へ帰り着くと
先輩から何度も何度も何度も何度も着信が来ていました。
また鳴って、しばらく鳴り続けていましたが
わたしは裏切られた気持ちで一杯で
それから二度と、誰とも連絡を取ることはありませんでした。
クビになって始めて人を恨む殺意を覚えた
なにをどう考えればよいのかも分からず
ひとまず親友に連絡したあと、家具のない部屋でぼけーっとして
何も考えられないスカスカの頭で
呆然としていました。
しばらくして友達がひとりやって来ました。
「次、なにするぅ~?」
求人をパラパラめくりながら、おちゃらけて
次の仕事を何にするかと聞いてたんです。
なんかもう、フッと全部の気力が抜けきって
そのまま友達と公園に場所を移してお酒を飲んでました。
親友は同じデザイン系列の会社なので
すぐに飛んで来ることができなかったため
別の友だちに連絡して様子を見てくれと頼まれたようでした。
その後何度も、親友とその男友達は交互に様子を見に来ては
わたしがバカをしないかと見守っていてくれました。
時には、両手いっぱいのスーパーの袋を抱えて
食料を買ってきてくれることもありました。
(そうそう、お給料ももらえないままクビになったんです。)
正直に言えば、当時は何度も思ったことがありました。
会社に・・・火を付けたらどうなるかな、と。
そのくらい、強烈な恨みが心の底に残っていて
どうやってもその思いは拭いきれませんでした。
1度や2度ではなく
何度も何度も思いました。
クビにされたことへの恨みではなく
家族のことを言われた恨み。
当時、実家は祖母の認知症があって
母が一生懸命介護してくれていたんです。
父も必死に働いたお金で
なんとかわたしを県外の短大まで行かせてくれた。
そんな大変な時期を乗り越えようとしている家族のこと。
今、もう何年も昔の話を書いているのに
思い出すと恨みが再び心の底でフツフツと沸き出そうです。
わたしにとって、言い表せないほどの感情が
この当時はずっとグルグルと巡っていました。
親友と友達の助けがなければ
今どうなっていたか分かりません。
そして、こうして支えてくれる友達のためにも
恩返しできるほどの何かを探さなければと思いました。
現実問題、お金は必要なのだから。
色んな感情が爆発しそうになるのを
助けを借りてなんとか乗り越えたメイコでしたが
さあ、現実問題としてお金の工面が必要でした。
ひとまず、近所のコンビニに走り
深夜のシフトでバイトに入ることが出来たので
今度は昼間のバイトを探さねばなりません。
求人から時給の良い物を優先して選んだ結果
・テレアポ
・怪しいバー1
・怪しいバー2
・倉庫作業(資料仕分け)
・倉庫作業(製造)
・デパート1
・デパート2
・映画製作
・雑貨店
・データ入力
・デザイン事務所
思い出せるだけで、このくらいは
バイトをいろいろ点々としてました。
途中からは、親友の紹介で派遣会社を通したので
掛け持ちしなくて済むようになりました。
本当に何度も何度も助けてもらいながら生きてます。
バイトはどれも大変でしたが
特に「気が狂いそう」だと思ったのが倉庫作業です。
同じ単純作業を延々と繰り返す。
何のためにこの作業をしているのか、誰も知らない。
ただただ気が遠くなりそうな単純作業を
終業時刻まで延々とこなすだけでした。
頭を使わない仕事というのは
おそらく、誰がやっても同じくらい
「頭がおかしくなりそう」と感じるはずです。
何のために?と考えることすら意味のないことで
ただただ「やれ」と言われたことだけをやり続ける。
目的も理由も知らない仕事というのが
これほど苦痛なのかと嫌というほど思い知らされました。
さらに、人間関係も職場によっては最悪でした。
どこにでも嫌味な人はいるし
そういう人に限って立場が上だったりするから最悪です。
マネージャークラスの人が
ひたすら派遣を小馬鹿にするのを見ると
人間性を疑いたくなるものでした。
社員と派遣・バイトっていうのは
何であんなにいがみ合っているんでしょうかね 笑
どこへ行っても仲が悪い~。
おそらく、社員にとっては
仕事は逃げられないほど縛り付けられているもので
しかも人生をかけて続けなくちゃいけないもの
それに対して
バイトや派遣社員というのは
かなり気楽でフワフワっとしている存在で
会社に人生をかけるほどの情熱はない。
そう見えているのかもしれません。
でも、バイトや派遣って
若い頃ならなんとか続けて気楽なもんですが
30を過ぎるとそろそろ本気で
人生を考える必要も出てきますよね。
女の人は、最悪の場合結婚して家庭に入ればいいけど
男性の場合はそうもいかない。
そういうプレッシャーはどこへいってもあるけれど
当時のわたしはまだ若くて、それほど真剣に
人生について考えてはいませんでした。
ただただ、嫌な社員や先輩に対して
イライラしたり気分を悪くさせられたりしながら
早く終業時間になるのを待っていました。
まるで、このサイクルが一生続くみたいに
将来のことなんてこれっぽっちも考えず
今を生きるのに必死になっていて
もしかしたら
将来のことを考えるのが怖いと思っていた
だけかもしれません。
いくつかのバイトや派遣を終えた後
体調を崩して地元へ帰ることになりました。
しかし、メイコの運命は
まだまだ波乱が続くのでした・・・
最悪の展開。もう夢も希望も朽ち果てた
地元へ戻ってからもたくさんのバイトを
繰り返し点々とする日々でしたが
ある日、フラリと足元がおかしいことに気づきました。
立っているのに浮いているような
歩いているのに地面の感触が全くない。
あれ?おかしいなと思いながらも
毎日のシフトに追われて病院に行くのを先延ばしにしていました。
ある日を境に、その頻度はどんどん増していきました。
時には貧血のような症状だったり
バスの中で異常に動機がしたり
冷や汗が止まらなくなったり
症状はどんどんひどくなり
とうとう、家から出るのが怖くなっていきました。
ようやく病院へ行く決心をしたものの
一人では外に出られず母に付き添ってもらわなければ
すぐ目の前の病院にすら行けなくなっていました。
病院から専門の精神科か、心療内科を進められて
精神科という響きが嫌だったので
意味もわからず後日、心療内科を受診しました。
そこで告げられた病名は
「パニック発作」でした。
ストレスが原因でしょうと言われただけで
他に何の核心を突く話はなく
何を聞いてものらりくらりと交わされ
3時間も待たされた挙句に診療は数分で終わりました。
それからというもの
バイトへ行くのもものすごく億劫になり
ひどい時には玄関で1時間、
靴を眺めたまま動けないなんてこともありました。
始めのうちは、家から出るのは抵抗があるものの
出かけてしまえばなんとかなる、という感じでしたが
それも日に日にできなくなり
30代になる頃には
家から一歩も出られない状態になってしまいました。
『引きこもり』というやつです。
働けないことは、致命的でした。
お金がないので、両親に養ってもらうことになる。
あんなに恩返ししたいと思い続けていたのに
お金を貯めて親孝行するどころか
完全にお荷物になってしまった・・・。
超ポジティブだったわたしは消えて
真っ暗い闇の底へドロドロと落ちていくような毎日でした。
夜眠る時、「何のために生きてきたんだろう」と思うと
情けなくて涙が溢れて止まらなくなりました。
そんな日を、何夜も何夜も繰り返して
心はどんどん腐れて朽ちていくようでした。
何をしても、見ても、話しても
笑える気力がカラカラになって干からびていました。
何のために生きてきたんだろう
何のために生きているんだろう
生きる意味ってあるんだろうか
早く終わってしまえばいい
どうやって終わらせればいいんだろう
お母さん悲しむかもなあ・・・
頭の中ではグルグルといつも考えていました。
自分の人生を終わらせる方法を。
外へ出られない事が苦痛なんじゃなくて
生きる価値が無いということが苦痛でした。
両親にも友達にも
まだまだ恩返ししていなかったのに
何も返すことができなかった。
生き続けてお金を消費させ続けてしまうなら
もういっそ、終わった方がいい。
負担がない方がいい。
定年が近い父にこれ以上負担をかけたくない。
ようやく両親ののんびりできる人生が始まるのに
わたしが居たら、楽しく生きられない。
全てが心から楽しめない世界に生きていて
もうじき、それも終わらせようと思っていました。
32歳のときでした。
最後の希望は届かない。
終わらせることを考えていた時
気がかりだったのが自分の葬儀のことでした。
お金・・・かかるから。
家族葬でも100万くらいかかっちゃうのかなぁ・・・
そんな貯金ないなー。
生きてても死んでもお金がかかるなんて
わたしの人生はつくづくお金に嫌われ続ける人生だなと思ってました。
そう考えると、なんだか腹が立ってきて
「じゃあ葬儀代くらい稼いでやる」と思ったんです。
変な話ですよね 笑
「死んでからまで迷惑かけてたまるか!」
そんな超ネガティブ思考から始まった意志で
とりあえずネットで何か稼ぐ方法を探しました。
初めはデータ入力のようなもので
小銭を稼ぐことからはじまり、
ガムシャラに作業をこなして
日々小銭を必死で稼いで稼いで
やっとの事で数万円ほど貯めることができました。
しんどい気持ちはあったけれど
それ以外に他にやることもないので
夢中になって案件を探して作業をして・・・
そんな時、不思議な案件に出会ったんです。
===============
この商品について、このページを見ながら
2000文字の文章を作成してください。
===============
初めは、お金になるので気にも止めなかったんですが
何件も何件も何件も・・・・
同じ案件でどんどん依頼をしてくるんです。
「この人はこの文章を何に使ってるんだろ?」
不思議に思いながら文章で小銭を稼いでいると
某掲示板経由で、案件の情報交換をしている人から
「ああ、それはアフィリエイトだよ」と
教えてもらったんです。
アフィリエイト・・・
確か商品リンクをブログに貼って報酬をもらうやつだよなぁ
その日を境に、アフィリエイトで
何をどうすればお金になるのかを調べるようになりました。
ネットで一番お金を稼ぐ手段
サイトで50万円も稼ぐ人もいる
高い商品を選んでリンクを貼ればいい
美容系が一番お金になるらしい
アフィリエイトならもっとてっとり早く
お金を稼げるのか・・・
これは・・・やってみる価値があるかもしれない。
いつの間にか、自分の葬儀代を稼ぐことより
「両親に世界一周豪華客船の旅をプレゼントするんだ!!」
という、とんでもない飛躍した目標に向かって
アフィリエイトに挑む気満々になっているメイコが居ました。
その目標は、かならず叶う。
アフィリエイトならきっと叶えてくれるはずだ。
わたしはようやく、出会えたんだ・・・
メラメラと燃える瞳の中に、もう葬儀代のことは映らず
ただただ親孝行をするだけのために
30を過ぎて新しいことを始める決意に燃えていました。
コツコツと貯め続けたお小遣い程度の貯金を下ろして
『アフィリエイトで稼ぐために必要だと言われる教材』を
1万円という大金を支払って購入しました。
「絶対にうまくいく、絶対に成功する。」
なぜかそう確信していました。
わたしなら、できる。
その為に、きっと今まで苦しい思いをして生きてきたんだ。
今日この日からお金がどんどん舞い込んできて
もう二度とお金に振り回されない人生になるんだ。
もう既に、成功を手にしているような気分で
わたしはものすごいスピードで作業をはじめました。
データ入力の時よりずっと長くパソコンの前に座り続けて
ご飯とトイレとお風呂以外の時間を全て
アフィリエイトというブログづくりに注ぎました。
===============
ブログを1つ作って
そこに3つか4つ記事を書いて商品リンクを貼る。
この1セットを100回分やりなさい。
===============
つまりブログを100個作ってしまえば
お金がじゃぶじゃぶと湧いて出てくるということでした。
わたしはできるだけ長い間パソコンに向かって
朝も夜も関係なく、時間の感覚が全くわからなくなるまで
延々とこの作業に没頭し続けました。
とにかく、わたしには成功できる確信があったし
弱音を吐かずに成功するまで手を止めない覚悟でした。
多くの人が脱落していく中で
わたしだけは絶対に稼げると確信しながら
歯を食いしばって、目標を目の前のカーテンに貼り付けて
『あと50ブログ、今月中に26ブログ作ること』
常に自分を奮い立たせていました。
なぜなら、成功するという確信があったかです。
そして、180日が過ぎようとしていた時
ブログの数は60~70ほどになっていました。
わたしの心はカラカラになり
つらくてもう限界でした。
どうしてもっと頑張れないんだ・・・
結局わたしは、何をやってもうまくいかない。
最後の希望は終わりました。
残されたものは、なにもありません。
絶望の中で最後に思うこと
どこまで頑張り続けても結局
そういう運命だから抗いようがない。
わたしの人生はもうはじめから決まっていて
何をしたって成功できるはずもなかった。
運命を変えようとアレコレもがいてみた事で
逆に変わりようのないものだと気付いてしまって
落ち込むよりも、逆に受け入れるようになっていました。
「そうか、わたしは結局何をやってもダメなんだな。」
人生がうまくいく人は、最初からそう決まっている。
わたしの人生は、あの会社でクビになったときから
もう既に決定的なものになっていたんだ。
もしかしたら、クビになる前に
わたしがあの会社を選んだときから
こうなる運命だったのかもしれない。
どんなに苦労しても
どんなに自分は特別だと思いこんでいても
どんなに自信があっても
どんなに最後の希望であっても
決められた運命からは逃れられない。
わたしはもう、できることなんてない。
ガッカリしたり、悲しくなったり
泣きたくなるという感情はまったくないまま
ただただ運命を受け入れた瞬間でした。
わたしは、ただ凡人で
苦労したって報われるような人間じゃない。
運命を受け入れて、わらう。
この時のわたしは、病気で絶望していた時より
ずいぶん(精神的に)元気になっていました。
人と競ったり、情報交換したり
目標に向かって突き進んでいた気持ちが
いつの間にかカラカラに干からびて『無』だった心を
潤していたことに気付いたんです。
とは言え、お金はない。
目的には届かなかったし
これ以上、何をすればよいのか分からない。
そう思ったら、今まで我慢し続けていたことを
発散させてみようと思い立って
自分勝手なブログを作っていました。
ブログを量産するんじゃなくて
自分が楽しめるものをブログに書いていく。
アナと雪の女王が流行っていたので
その仮装衣装を来た子どもたちの画像を探して
自己満足満点のブログを書いてみよう。
何故かストレス発散のように
その記事を更新し続けました。
教材のマニュアルには全く書かれていないし
誰に習ったわけでもなく、ただただ好きなように書いて
翌月のハロウィンに楽しんでもらえたら嬉しいな
そんな気持ちで超適当なブログを
楽しみながら1ヶ月間、更新し続けました。
今思うとこれは
最後のあがきだったのかな?とも思えます。
しかしここで、意外なことが起こります。
ハロウィン間近になった当たりから
ポツポツとブログから商品が売れている・・・
数百円という額だったけれど
これはどういうことだろう?と正直、驚きました。
ハロウィンが終わり、年が明けたある日
中途半端に放置していたブログを思い出します。
量産したブログではなくて
趣味で書いていた昔に書いたブログです。
そのブログの計測を見てみると
最後の更新当たりから
グンとアクセスが増えていることに気づきました。
「ん?これはどういうこと??」
立て続けに2度も
「これはどういうことだろう??」と疑問が生まれて
もう少し詳しく調べてみることにしました。
そしてあることに気付きます
わたしは今まで
自分のブログを書いていたけれど
アクセスが伸びた記事では
自分の『経験』をブログに書いている・・・
もしかしたら、アクセスを伸ばすには
読者中心のブログを書けば良いのかもしれない・・・
何か少しだけヒントを探し当てられたような気がして
わたしは趣味のブログを本格的に始めることにしました。
アクセスを伸ばすためにブログを書く。
今までやったことのない考え方でした。
そして、数ヶ月記事を書き続けていくと
みるみる読者は増えていました。
「おお・・・すごい・・・」
でもお金に繋がっていなかったので
アクセスはあるのに、お金を稼げないブログという状態。
もったいない、どうにかしたい・・・
そして再び、
わたしはアフィリエイトを学ぶことにしました
アフィリエイト=ブログ量産で稼ぐ
この手段が、一番自分に合っていると思いこんでいましたが
今度はブログを1つに絞って『育てる』方法を選びました。
方法が違えば、学ぶことも
実践する手段も全く違うことに驚きました。
わたしがこの時学んだのが
ネットビジネスという王道のものでした。
わたしは、新しい教材を買って0から学び直しました。
文字通りの0から。
そして趣味のブログを使って
どうすればアクセスが集まるのかを照らし合わせ
どうすれば物が売れるのかを学びました。
でも肝心の趣味ブログでは、
アフィリエイトで紹介したい商品が全くなかった。
いろんなサイトを探し回ったけれど自分のブログで
売りたいと思えるものが1つも見つけられなかったんです。
これはまさに『致命的』なことでした。
が・・・!!
「もしかして、この趣味の知識は自分が一番詳しいのでは??」
という勘違いも甚だしい思い違いと
超ポジティブな性格が発動してしまい
なんと、わたしは自分の売りたい商品を
自分で作ることに決めてしまったのです。
無謀・・・
今思い返すと、この当時のわたしの考え方は
今よりずっと賢い気がします。笑
数ヶ月かけて、趣味のノウハウの情報をまとめた
1冊の本が完成しました。
本と言ってもWordで作って
データ化しただけなので、誰でも出来るんです。
「読者に楽しんでもらいたい、成功してもらいたい」
そう思う一心で完成した本でした。
そして、いよいよ本を販売することにします。
季節はぐるりと回って2度めのクリスマスを迎える頃でした。
販売ボタンをポチッと押した瞬間
怖くてパソコンを閉じてすぐ寝ました。 笑
「売れたらどうしよう」
「売れなかったら、ちょっと悲しい」
「でも、売れちゃったらどうしよう」
謎のプレッシャーと戦いながら
わたしはそのまま眠りこけてしまいました。
さて、どうなることやら。
新たな一歩へ
目が覚めて、恐る恐るパソコンを立ち上げると
見たことない画面に心臓が飛び出るほどの驚きと
「こっわ・・・・」
思わず怖いと発言してしまうほど
常識ではとても理解できない事が起こっていました。
現実に起ったことなのかそれとも
これは仮想空間の中で起こった出来事なのか・・・
当時の実際の画面のキャプチャです
↓↓↓
売れすぎぃ!!!
いや、これは怖いですよ、怖かったんです。
なんか悪いことをしているわけじゃないのに
「自分でお金を稼ぐ」という経験が初めてだったので
とにかく、得体の知れない恐怖心と
「よ、喜んで良いんだよね?!」
みたいな色んな感情がごちゃまぜちゃんぽんになっていました。
あんなに待ち望んでいた『成功』という結果が
いざ目の前にぽーん!と飛び込んできた瞬間
素直に喜んでいいのか分からないなんて変な感じですね。
この時、わたしは33歳。
やっと人生を取り戻せた瞬間でした。
運命は変えられなかったわけじゃない
むしろ
そんなものはどこにもなくて
ただ、単純にやり方が間違っていただけ。
もし、今の生活が運命で
逃げられない世界なんだと思っているのなら
それは間違いで
自分の人生はいくらでも自分で切り開いていけるものです。
大冒険の末のメイコの物語は
ようやくここから転がり始めるところです。
諦めてはいけない
成功しないのなら方法を変えればいいだけなんだから。
人間の可能性と希望
わたし達は、生きるのにお金が必要なのに
お金をどうやって稼げば良いのかをあまり知りません。
会社に雇われれば、お給料がもらえる。
そうして生きる人生に、あまり疑問を抱きません
もしかしたら、疑問視するのが怖いだけかもしれない。
わたしもクビになったり、病気にならなければ
会社に雇われる大勢の中のひとりだったはずです。
それでも言わずにはおられないんです
「あなたはもっと、幸せに生きる方法があるよ」って。
会社に雇われている時を思い出して書いていましたが
どれも必ず「苦労や苦痛」が一番に出てきます。
人と関わることで、必ず衝突はあるし
出世するためには、他人より勝たなければいけない。
わたしの父は、わたしと兄がまだ小さかった時
ほとんど顔を合わせられませんでした。
夜は11時過ぎに帰宅してくるし
朝は7時前にはもういなかったからです。
母は当時を振り返るといつも
「わたしは母子家庭だと思って育てた」と言います。
一番可愛いはずの小さくて純粋な頃を見ずに
父は全て会社に捧げていきてきました。
もしあの時、今みたいにネットがあれば
父は四六時中わたしと兄のそばに居てくれて
写真やビデオをたくさん残してくれたかもしれない。
今の社会は、父の頃とはまた大きく違って
ストレスが当たり前のようにそこらじゅうに溢れています。
生き甲斐ではない仕事
部下の成長を望まない上司、先輩
必要のないイジメ、パワハラ、セクハラ
時間外の代償の大き過ぎる残業
個人の能力を伸ばすのではなく
個人の能力をどこまでも押し潰してしまう世界
わたしは、ネットビジネスを始めるまで
自分には何の能力もないと思っていました。
デザインも人並みのものしか出来ないし
寝坊はするし
協調性はないし
効率ばかりを気にするし
間違いを放っておけないし
言われたことはすぐ忘れるし
数え間違いはもう日常茶飯事
ダメ人間なのを自分で自覚していたくらいです。
でも、ネットビジネスを始めてみて気付いたんです
他の人が出来ないようなことを
ブログを通して自分の力でやってのけることができた。
自分の力で、人を喜ばせたり
人を集めたり、物を売ったりする事ができた。
これは、能力を鍛えたからレベルアップしたものばかりです。
能力は、きちんと育てて鍛えればレベルアップします。
あなたがもし、過去のメイコのように
ダメ人間だから才能がないんだと思い込んでいるのなら
それはあなたの責任ではなく
あなたの学び方が正しくないだけの話なんです。
メイコの空回りっぷりは
あなたが今見てきた通りです。笑
でもそれは、学びがなかったからだとも
最後に気づいてもらえたはずです。
正しい学びがあって、知識があって、道があれば
ちゃんと成功させることは出来るんですよ。
メイコが歩いてきた道のりは
今度はあなたに訪れる番かもしれません。
価値観や常識にとらわれずに
真っ直ぐ心に従って自分がどう生きたいのかをイメージしてみてください。
メイコのようにのんびり幸せな人生を生きたいなら
30を過ぎていてもまったく問題ありません。
ネットビジネスを学んでみるでも良いですし
他の方法があるかもしれません。
イメージして、歩いてみてください。
もし、ネットビジネスを学んでみたいのなら
こちらからメルマガで学ぶことも出来ます。
人生は自分のためにあります。
手を伸ばせば人生は変わります。
諦めないで、真っ直ぐここを目指して歩いてみてください。
メイコより